生きる意味について

一度は考えたことはないだろうか。

生きる意味について。

「そんなことは考えるに値しない」と誰かが言う。

そんなことを考えたこともなければ、仮説すらたてられないくせに。

今あなたが生きる意味について、一つの仮説でも知りたいなと思っているなら、ぜひ僕の意見を聞いてほしい。

問いを明確にする。

「生きる意味とはなんですか?」

まずこの問いを分けて考えてみたい。

生きる→身体を維持すること、身体の要求に応えること

意味→理由、価値

「なにか?」という問いは「なぜか?」という問いより難しい。

例えば、「なぜ日中は暖かく、夜は冷たいのですか?」という問いに答えると、「日中は太陽がその場所を照らしているが、夜は太陽がその場所を照らしていない」という答えになる。

では「太陽とはなんですか?」という問いに答えるにはどうすればよいのか?

僕らは太陽が存在することによる影響、例えば地球の気温を支配している、地球の公転運動を支配しているなどのような影響を答えることはできる。

しかし太陽それ自体は何かわかっていない。

これは実生活の中でもそうだ。

机、スマホ、ノート、車、時間、、、、

それが僕らに及ぼす影響に関しては答えられるが、それ自体が何かは答えられない。

つまり、「生きる意味」ということに関しても何かは答えられない。

それでは問いを少し変えて、「生きる意味はあるか、ないか」というものにしてみたい。

先ほども書いたとおり、「生きる意味」とは、「身体を維持する価値」と言い換えられる。

身体を維持することはいつかどう頑張ってもできなくなる。

生には必ず死があるからだ。

では身体を維持するという努力を経て、身体が消滅するという目標をたどる人生に価値は見いだされるだろうか。

僕は価値などないと考える。

誰が、「美しい鷹の絵を描くために、かっこいい鷹の写真を見つけて、それをもとに下書きを描いて、そこに色をつけるために必死に色を混ぜ合わせて作って。そんな努力を経て、目標はその絵をやぶり捨てることです。」という行動に意味を感じるだろうか。

誰もが「幸せになってほしい」と思いながら、子供を作ると思う。

しかしこの世界に永遠というものがないのなら、永遠の幸せなんてこの世界にはない。

なら何のために子供を作るのか。

考えは人それぞれ自由ではあるが、その考えはいつでも吟味されるべきであると僕は考える。

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